あわやまりあわやまり

詩

2019/09/29

「第六公園」

わたしの家に一番近い

第六公園には

ぞうとパンダの遊具があって

子どもの頃よくそれに乗って遊んだ

二頭は公園の入り口に向かって立っている

だから公園の前を通れば

いつも目が合う

 

わたしが中学生になっても

高校生になっても

雨の日でも雪の日でも

ぞうとパンダは公園にいた

たくさんの子どもたちの友達だった

 

思い出たちは

ぞうとパンダのように

わたしの中の隅っこで

いつもこちらを見ている

わたしが見ると目があって

あの頃の第六公園が現れる

 

そこにいたおばあちゃん

まだ若かった父と母

幼かったわたしと姉

砂場で作ったお団子

水飲み場で飲んだ水の冷たさ

こわくてのぼれなかったジャングルジム

ベンチの上の藤の花

つないで帰った手のぬくもり

 

 

(c) 2019 あわやまり

2019/09/28

「さようならこんにちわ」

僕の仕事は

毎日さようならをすることだ

 

夏になると

ここにはたくさんの人が来る

涼しさと休養

リフレッシュと美味しいものを求めて

 

このホテルはこじんまりしているが

リーズナブルで清潔感があると評判で

夏はほぼ満室だ

 

四泊する人もいれば

一泊で帰る人もいる

家族で来る人もいれば

ひとりで来る人もいる

荷物の多い人もいれば

少ない人もいて

毎年来る人もいれば

初めて来る人もいる

 

今日はどちらに行かれるんですか?

お天気、持つといいですね

そんな短い会話だけれど

その話の中から

その人の表情から

ストーリーを想像する

 

仲直りの旅行かな

ちょっと疲れてひとやすみかな

いつも夏の休暇かな

 

そして

お泊まりが長ければ長いほど

お帰りのときは

さみしい

行ってらっしゃいませ

と笑顔でお辞儀をするけれど

一瞬の喪失感が僕を襲う

 

この夏だけでも

ぼくは何度

行ってらっしゃいませ

つまり

さようなら

を言っただろう

 

それは毎日のなかにある

小さなさようならだ

生きていく中には

もっと大きなさようならもあるだろう

小さな

大きな

さようなら

の繰り返しで

人生は続いていく

 

でも当たり前だけれど

ここでは

誰かが去って行くと

また誰かがやって来る

いらっしゃいませ

つまり

こんにちわ

もしくは

はじめまして

それはさようならと同じくらいある

 

きっと人生も

そうなのではないか

なんて考えながら

霧がかったこの町で

僕は

今日のこんにちわの準備をする

 

 

(c) 2019 あわやまり

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