あわやまりあわやまり

詩

2023/02/01

「まちがいさがし」

表参道の
ビルの窓に
街路樹がきれいに
映っている

もしかして
映っている方が
本物より一枚
葉っぱが少ないとか
枝の方向が違ったり
しているのかも

誰か気がつくかな
どうかな
なんて言いながら
試しているのかも

気がついたらどうなるか?

きっと
一等きれいな葉っぱが
もらえます

 

 

(c) 2023 あわやまり

2021/02/20

「それは数えられないほどたくさん」

どのくらい

このマグカップで飲んだだろう

目を覚ますためのコーヒー

一息つくための大好きなお茶を

 

どのくらい

このソファに座っただろう

眠くて力が入らない体を

ゆったりする時間を

支えてもらっただろう

 

どのくらい

このドアを開けただろう

ワクワクして出かける時も

憂鬱で行きたくない時も

 

どのくらい

ここで

いってらっしゃいと

おかえりを

言ってもらっただろう

 

その言葉は時にお守りで

灯台の明かりのようだった

 

 

(c) 2021 あわやまり

「秋美vol.33」より

2020/06/08

「消しゴム」

小さな子どもは

たまに

消しゴムをくれたりする

キャラクターの絵が描いてあるのとか

面白いかたちのとか

それは気まぐれだったり

誕生日のプレゼントだったりする

 

それらは消しゴムであって

消しゴムではない

 

だってほとんど

字が消せない

 

字は消せないから使わないけれど

私はずっと持っている

その子たちが大きくなっても

大事に

 

捨てられない

大切な手紙みたいに

 

 

 

(c) 2020 あわやまり

2020/03/01

「いつも」

晴れていても

曇っていても

その上の宇宙では

無数の星たちがささやきあって

 

誰も見ていなくても

樹々は踊り

花は歌う

この世界に生きる喜びが

私たちにも波及するように

 

 

 

(c) 2017 あわやまり

2017詩と絵のカレンダー3月

木蓮の花言葉「自然への愛」より

2020/02/23

「ほこりのきらめき」

あたたかな陽が差し込む

リビングのソファに

横になっていて

ふと目を開けると

陽の光りに照らされて

リビングのほこりたちが

キラキラきらめいていた

 

いつもほとんど気づかれない

小さな小さなほこりたちが

意思を持っているように

踊っているのだった

 

わたしがそこに

そっと手を触れると

ほこりたちは

静かに近づいてきて

優しく包み込むように

触れてくれるようだった

 

そこにわたしの大切な人が

本当にいて

まだそばにいるよって

教えてくれているようだった

 

その奇跡に

わたしは深く感謝した

 

 

 

(c) 2020 あわやまり

「秋美」vol.32より

2019/12/27

「冬の青空」

雲ひとつなく澄んだ青空の下の

長い上り坂の一番上にある

大きな家に住んでいるおじいさんの

空を見上げる目は澄んでいて

青空の向こうを見ている

 

 

 

(c) 2014 あわやまり

2019/12/22

「大きくなったね」

子どもが

大きくなることの

なんて早いことだろう

こないだ

小学生だった親戚の子が

もう大学四年生

すっかり大人の女性になっていた

 

大きくなったね!

つい、言ってしまう

わたしもかつて

よく言われたなあと思い出す

 

大きくなったね

もうそんなになったの!

驚きに満ちた声で

 

その度

どうして大人は

おんなじことばっかり言うんだろう

と思っていた

 

でも間違いなく言えることは

大きくなったね

と言う言葉には

よくがんばって大きくなったね

元気でいてくれて嬉しいよ

なんてことが

きっと

込められていると言うこと

 

だからどうか

子どものみなさん

もう十分大きくても

誰かの子どもであるみなさん

大きくなったね

もうそんなになったの!

と言われても

またか

と思わずに

はい、こんなに大きくなりました

なんて誇らしく

思ってくださいね

 

そうして元気に生きていてくれること

それが喜びでもあり

願いでもあります

 

 

 

(c) 2018 あわやまり

2019/11/06

「色とりどりの糸」

洋服のお直し屋さんに

たくさんの色の糸が

グラデーションになって

きれいに並んでいる

 

色がいっぱいあるのは

いいな

いろんな色の服が直せる

 

人生もきっとそうだな

いろんな思いをした方が

糸の色が増えて

こころの

ほつれたのや

やぶれたのを

治すことができる

 

どんな色でも

ゆっくり 時間で

糸を巻くようにして

私の中のすみっこに

置いておいて

そしてまた いつか

やぶれたりした時に

今度はそれを治すのを

手伝ってくれる

 

 

(c) 2009 あわやまり

詩集「ぼくはぼっちです」より

2019/10/09

「おみやげ」

たとえば

抽象的な絵

これはなんとかで

これはなんとか

ってせつめいしてくれる

 

たとえば

ちいさな石

ほら、おまめみたいに

みえるでしょ

ってじまんげ

 

たとえば

ずんぐりしたどんぐり

これね、なかに

むしがはいってるかもしれないから

きをつけてね

ってちゅういする

 

ちいさな手ににぎってくる

きみのおみやげは

毎日の中のたからもの

いつか忘れてしまっても

振り返れば ほら

目印にしてきたキレイな石みたいに

きらきらしているよ

 

 

(c) 2019 あわやまり

詩集「線香花火のさきっぽ」より

2019/09/29

「第六公園」

わたしの家に一番近い

第六公園には

ぞうとパンダの遊具があって

子どもの頃よくそれに乗って遊んだ

二頭は公園の入り口に向かって立っている

だから公園の前を通れば

いつも目が合う

 

わたしが中学生になっても

高校生になっても

雨の日でも雪の日でも

ぞうとパンダは公園にいた

たくさんの子どもたちの友達だった

 

思い出たちは

ぞうとパンダのように

わたしの中の隅っこで

いつもこちらを見ている

わたしが見ると目があって

あの頃の第六公園が現れる

 

そこにいたおばあちゃん

まだ若かった父と母

幼かったわたしと姉

砂場で作ったお団子

水飲み場で飲んだ水の冷たさ

こわくてのぼれなかったジャングルジム

ベンチの上の藤の花

つないで帰った手のぬくもり

 

 

(c) 2019 あわやまり

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