あわやまりあわやまり

詩

2020/02/11

「四十五分の穴」

愛するわんこが穴を掘って

その中に入っていった

そしてもう二度と戻って来なかった

その穴は

横にした時計の中心に私がいると考えて

四十五分の位置だとしよう

 

私はしばらくはずっと

四十五分の穴ばかり見て暮らした

ずっと見ていても穴は動くわけがなくて

更にはわんこが顔を出すこともない

もう戻ってこないことを

分かっているからこそ

悲しくて悲しくてどうしようもない

どうしようもないけど

どうにもならない

 

どうにもならないことって

世の中にはたくさんある

 

深いため息をひとつ

こんな気持ちはもうたくさん

思い切って四十五分でない方向を

向こうかとも思った

けれども他の方を向いたからといって

四十五分の穴がなくなるわけでは勿論ない

その穴は多分ずっと変わらない

そこに何か他のものが住み着くなんて事も

ありえない

だから例えば

今度は十五分にいる子猫に夢中になっても

四十五分の穴の存在は一生変わらない

 

唯一変わっていくのは

私が立っている位置なのだろう

そこは確実に、良くも悪くも止まらずに

ほんの少しずつ上へ上へと動いて行く

だから日に日に

少しずつだけれど

四十五分の穴が遠くなっていく

だんだん霞んで見えなくなる

ずっと見つめているのもつらい

だけど薄れていくのも悲しい

 

でも確実言えることは

わんこの掘った穴は絶対になくならない

それは

わんこがいた、ということも

絶対になくならないと言うこと

 

 

 

(c) 2020 あわやまり

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