あわやまりあわやまり

詩

2021/02/20

「それは数えられないほどたくさん」

どのくらい

このマグカップで飲んだだろう

目を覚ますためのコーヒー

一息つくための大好きなお茶を

 

どのくらい

このソファに座っただろう

眠くて力が入らない体を

ゆったりする時間を

支えてもらっただろう

 

どのくらい

このドアを開けただろう

ワクワクして出かける時も

憂鬱で行きたくない時も

 

どのくらい

ここで

いってらっしゃいと

おかえりを

言ってもらっただろう

 

その言葉は時にお守りで

灯台の明かりのようだった

 

 

(c) 2021 あわやまり

「秋美vol.33」より

2021/01/05

「新年の1」

紙に印刷してあった

明朝体の1が

トコトコと歩き出して

どこへ行くのかと思ったら

その飛び出た1の先っぽで

わたしの「やりたいことスイッチ」を

押したのだった

 

ああよかった

この1がゴシック体じゃなくて

ああよかった

この1が「やりたいことスイッチ」の場所を

知っていて

 

そしてわたしはスタートすることが出来る

1を忘れずに

1つずつ

 

 

 

(c) 2021 あわやまり

2020/12/15

「カクさんと空っぽの部屋」

カクさんは
自分の中の一つの部屋が
空っぽなのだと言っていた

 

空っぽだから音はしないけど
本当に空っぽなのよ
と言う

 

カクさんが何故
空っぽの部屋に気がついたか
聞いたことがあった

 

こんぺいとうかな

 

こんぺいとう、ですか?

 

そう
愛、みたいので出来ている
砂糖のかたまり
それがその部屋に
うっかり一瞬だけ入ったとき
カラカラカラ
って音がしてね
ああ、そこには何もないんだ
って気がついたの

 

じゃあ私も知らないだけで
空っぽの部屋いっぱいありそう
と私が言うと

 

彼女はやんわり微笑んで

 

でも別に
不幸だとは思わないんだ
無いものが多いからって
不幸だとは限らないじゃない
他の部屋には
豊かにあるものもあるしね

 

彼女の笑顔は素敵だ
といつも思う

 

でも
と続けて彼女は言った

 

もしもう一度
生きることができるなら
その時は

その部屋だけでいいから
そこが豊かで色とりどりな人生を
歩んでみたいかも

 

 

(c) 2020 あわやまり

 

詩集「記憶クッキー」はこちらから→

2020/11/11

「拍手する並木道」

ぼくの町の大きな並木道には

生と死がある

 

酒屋さんを過ぎると

産婦人科が左にあって

十分くらい歩くと

右に葬儀屋がある

 

どちらとも

僕に縁がある

 

ぼくはその産婦人科で生まれた

その時のことはもちろん覚えていないけれど

妹が生まれたのもその産婦人科だったので

その日の並木道のことをよく覚えている

 

赤ちゃんが生まれたぞー

みんなで祝おう

わーーーーー

と言って

木々がみんなで拍手をするように

葉っぱを揺らす

 

だからこの並木道を歩いていると

赤ちゃんが生まれた時

すぐ分かる

 

もうひとつの葬儀屋は

おじいちゃんの葬儀をしたところだ

ぼくは大切な人がいなくなるのが

初めてだった

 

その時並木道は

赤ちゃんが生まれた時とは違う

拍手をした

 

がんばって生きた!

 

静かめにそして

優しい感じに葉っぱを揺らて拍手をし

おじいちゃんを見送ってくれた

 

この並木道をずっと歩いていると思う

毎日(じゃない時もあるけれど)

赤ちゃんが生まれて

誰かがいなくなる

 

赤ちゃんが生まれることは喜びで

誰かがいなくなることは悲しみだ

それが一緒になっている

この並木道は

なんだか複雑だな

と思っていた

 

でもぼくも少し大きくなった

人はどこから来て

どこへ行くのか分からないけど

もしかしたら

産婦人科の前にも並木道があるように

葬儀屋の先にも並木道が続いているように

人もどこからかの続きでここへ生まれて

死んでからだがなくなっても

どんなふうかは分からないけれど

その先も続いて行くんじゃないかってこと

 

それはぼくが生きている世界でも

そうなんじゃないかなってこと

 

つまり

誰かがいなくなるってことも

それではいおしまい

ってことじゃなくて

なんていうか

続いて行くみたいに思う

 

ぼくは前より

この並木道が好きになった

でもまだ

大切な人がいなくなるのは

ずっと先であって欲しいと

願っているけど

 

 

 

(c) 2020 あわやまり

2020/09/26

「記憶クッキー」

初めて来た町を歩いていて

疲れきったところに

小さな洋菓子屋さんを見つける

今日はぐるぐると知らない道を歩き

足は痛いし腰も痛い

 

テラスに丸いテーブルがふたつ

そのひとつに座った

紅茶しか頼んでいないのに

それを飲んでいると

パティシエらしいおじさんがやって来て

 

クッキー、よかったらどうぞ

とクッキーを二枚乗せた

小さなお皿を置いて行った

 

そのクッキーを

ひとくち、ふたくち食べ

一枚食べ終えると

何か忘れていることがあるように

思い始めた

もう一枚食べると

その思いは一層ふくらんで

何を忘れているのか

一生懸命考えるが

思い出せそうにない

 

紅茶もなくなり

あたりも暗くなってきて

お会計をしようとした時

焼き菓子の棚に

「記憶クッキー」

というのが並んでいた

 

さっきのおじさんが

レジに立っていたので

 

あの、このクッキー

さっきいただいたのですか?

と聞くと

 

いや、あれはちょっと違うのです

まだ試作中のものでして

と微笑む

 

この、記憶クッキーって

どんな味ですか?

と聞くと

 

それはですね

全部食べ終えると

欲しい記憶が

自分の中に蘇るんです

生まれる、と言っても

いいかもしれません

つまり

本当に体験したことでも

そうでなくても

自分の中にね

 

そんなこと

あるんですか?

 

ええ

例えば、その記憶があるから

元気に

自信を持って

前を向いて

生きて行けるようになる

みたいなね

 

本当に?

 

本当かどうかは

どうぞご賞味ください

と微笑む

 

私は記憶クッキーを

一袋買った

 

その洋菓子屋さんの場所を

誰にも教えていない

何度かあの町に行っては

探したのだけれど

見つけられなかったのだ

私は今でも

あの町に行っては探している

「記憶クッキー」を売っている

洋菓子屋さんを

 

 

(c) Mari Awaya 2019

 

詩集「記憶クッキー」はこちらから→

2020/09/05

「地下からの美しいメロディ」

お風呂に浸かって
じーーーっとしていると
どこからか
軽やかなメロディが聞こえる

高い調子で

コロコロ笑うように軽やかな

楽しそうなメロディ

 

よく聴いていると

それは水の音だった
しかも

下水を流れる水たちの

 

こうやって1日の終わりに
楽しいことがあった日も
つらいことがあった日も
肩も腰もバリバリな夜も

お風呂で涙する夜も

 

その身体や心までも

洗い流したお湯たちは

流されて行きながら
あんなに楽しげで軽やかな
メロディを奏でている

 

その音色を
身体の芯があたたまるまで
聴いていた雨の夜

 

 

(c) 2020 あわやまり

2020/08/13

「リアルタイム」

今日の夕暮れの空は

この一度だけ

再放送はない

 

その瞬間

いっしょに空を見られたなら

それはどんな縁だか

分からないけれど

素晴らしいひとときを

共有したことになる

 

それは一度だけ

リアルタイムでないと見られない

 

 

 

(c) 2020 あわやまり

2020/08/04

「グラデーション」

時代が変わる時
縄文時代から弥生時代へ
江戸時代から明治時代へ
一日で変わったわけではなく
人も習慣も暮らしも
グラデーションのように

だんだんと変化した

 

この世界の

大きな

小さな

何かが

終わるとき
それはもしかしたら
だんだんと終わるのかもしれない

「終わり」のところから
それもまたグラデーションのように
終わっている状態を続けて
いつの日か完全に終わる

 

そして
「終わり」と同時に
気がつかないくらい
薄い色で
何か新しいことも
始まっていると信じたい
その色がはっきり見えるのは
まだ

先だとしても

 

 

(c) 2020 あわやまり

2020/07/15

「私からの電話」

わたしが

選ばなかった道にいる
私から
ほんの時々
電話がくる

 

それは呼び出し音だけだったり
がんばって!の

一言だったりする

 

その電話が
怖いものだとは全然思わない

 

選ばなかった道にいる私は

そっちで正しかったよ、とか

こっちの方がよかったのに、とか

言うわけでもなく

ただ

今のわたしを応援してくれている

 

そんな気さえするような

気まぐれで

あたたかで

一番信じられるエール

 

 

(c) 2020 あわやまり

2020/07/01

「カラカリホロリ」

電車が激しくゆれると

 

カラカリ(ホロリ)

 

と音がした

 

わたしのすぐ近くのようだけれど

見渡してもわからない

 

また激しく電車がゆれる

 

カラカリ(ホロリ)

 

わたしの中から聞こえたようだった

こころか

あたまか

いぶくろか

しきゅうか

分からないけれど

 

 

 

(c) 2010 あわやまり

詩集「今日、隣にいたひと」より

ページの先頭へ

ページの先頭へ